【心&クロシリーズ】

【蒼の焔】

序.

 冬の早朝。
 見上げる空には雲一つなく、止まった風のお陰で全てが凍てついたようにその動きを止めていた。
 木々のざわめきも、飛ぶ鳥の羽音もない。
 こうしてただただ空を見上げていると、自分の立っている場所を忘れてしまいそうになる。
「もし……」
 ふいに声をかけられ振り返ると、漆黒の着流しに紅い帯を締めた女が、手に不思議な提灯を下げて立っていた。
 円筒の中には蒼い焔が揺れている。その光に浮かび上がる、本来家紋のある場所には凡字があった。
「それは……」
 何という字ですか?と問うと、『木』です、と凍てついたこの空のように表情を止めた女の顔が、僅かに口角を上げた。軽く……笑んだのだろう。
「木は火を生じる。この辺りは水の気が強いので、木と書いていないとすぐに消えてしまう」
 水?と辺りを見渡す。
 この辺りに水などない。川も海も湖も。水溜りさえない。
 ただただ家が連なる細い道が続いているだけだ。
 鯉などの棲まう池がある家も、この辺りにはなかったはずだ。
「この先に辻がある。迷うたのならそこから帰れ」
 誰かと勘違いしているのか。
 ただ散歩をしているだけだ。迷ってなどない。だが。
 ふと、不安になる。
 ここはどこだろう。
 よく知った場所のはずなのに、何かがおかしい。何かが違う。どこへ向かえばいいのか、分からなくなっている。
 家はどこだったか。
 急にすとん、と忘れてしまった。
「おや。ちょうど舟が近くに来ているようだ。今走れば間に合う。そこの辻から乗れるよ」
 蒼い焔が背後を示す。
 振り返ると真っ直ぐだったはずの道が十字路になっていた。
「あなたはっ……?」
 先程までいた女の姿はどこにもない。どこにも曲がり角などないのに、女の姿は忽然と消えていた。

1.

 ドアノックに手を伸ばしかけ、その手を下ろす。
 それを二、三回繰り返したところで決心を固め、思い切ってノックしようとしたところでドアが開いた。
「あ、あの……」
 心の準備をする前に開かれたドアに、心は何と切り出すべきかと俯いた。
「とりあえず中に入れ。役所で住所を調べたらしいな。先程連絡があった」
 あ、と心は内心で短く叫んだ。役所で住所などを調べると、本人に連絡が行く仕組みになっていることをつい忘れていた。他者と関わることは、通常プライベートではほとんどない。仕事以外での交流は避けなければならない事項だからだ。ここには仕事以外のことなどあってはならない。同業者でさえ一定の制限が設けられているのだから、それ以外となると業務に支障が出ることが多々ある。それ故、職種ごとに住む地域が分けられていたり、全ては役所を通さなくてはならないなど幾つもの決まりが存在する。  
「なぜ情報を盗んだのか、それを聞きに来たのだろう?」
 通されたリビングのソファで、心は先程から言葉を探していた。どう切り出すべきか、何を聞けばいいのか。そんな心に苛立ったように、紅柳からいきなり核心に触れられ、心はびくりと身を竦めた。
「……此岸へ渡るには橋や辻を利用する」
 僅かな沈黙を置いて、紅柳はそう口を開いた。
「ここに落ちたモノは半身として字(あざな)を貰っている間は、我々と同じように橋や辻を通れる。だが、向こうへ着いた途端に字は変化する。自分の死神や術師が共にいればその変化は食い止められるが、半身だけが此岸に長く在ると字は徐々に失われる。字がなければこちらに戻って来ることも、此岸で生きることもできない。長く保って数週間。そういう契約が字に刻まれているからだ。だが、例外もある。半身が落ちて来た場所からなら、契約を解消して此岸に戻れると聞く。それは穴ではなく、扉なのだという噂がある」
「扉……?」
「自然現象ではなく、人工物だということだ」
「人工……なら、誰が?」
 心の反応に紅柳は笑む。
「さあな。だが、お前は見たことがあるはずだ。門を潜っても記憶が消えていないのは、今ここにいる中では俺とお前だけだ。記憶の中にその扉がある者だけが、門で記憶を残せるらしいからな」
 え?と心は瞬く。
「僕は記憶なんて……」
「無意識に閉じ込めているだけだ。その詳細な記録を探してみたが、盗んだ情報にもそれはなかった。お前の情報は隠されているようだな。臥龍院にあったのは戸籍に毛の生えた程度の情報だった。生前の記録がこれほどまでにないのもおかしい。何かあると元老院も用心しているようだ。現に情報を盗んだお咎めは一切なかったからな。ただ、常に監視はされるようになったがな」
 その言葉に心は周囲を見回したが、特に誰かに見られている気配すら感じなかった。
「今も見られているが、俺の結界がうまくカモフラージュしてくれてる。それなりの準備と覚悟はしていたが……」
 そこで紅柳は窓の外を見やった。つられて心も紅柳の視線の先を追ったが、特に変わった様子はない。
「……話の途中だが、用ができた。明日の同じ時間にまた来るといい。その時までに、扉が目の前にあったらお前はどうするか、その答えを考えておくんだな。半身を見送るか、否か」
 そう言い終わらないうちに、部屋の様子が一瞬で変わった気がした。何も変わっていない筈なのに、何かが違った。恐らく結界を閉じたのかもしれなかった。

2.

 ただいま、と言いかけて心は家の様子がどこかおかしいことに気づいた。
 電気は付けっ放しで、こたつの上に一人分の夕飯があった。その横には小さなメモが置かれていた。玄月の姿はどこにもないが、先程まで人がいた気配はある。
 メモには『でかけてくる』と達筆な字が這っていた。玄月は見かけは小学生くらいでも、中身はあれで三百を越えている。意外に料理ができて、字もどこかの書家が書いたように立派なのだ。ただし、ほとんど平仮名だが。
「なんだかなぁ……」
 心はちら、と台所を見やった。どこをどうしたらあれだけ散らかせるのか、不思議なくらいの惨事がそこにあった。次いで壁の時計を見る。八時になろうとしていた。
「行き先くらい書いておけよ」
 心は呟いて一人、夕食をとることにした。


「お子様ですわねぇ」
 憐れむように見下ろされ、玄月は思い切り白日を睨みつけた。
「要は顔を合わせたくないのでしょう?紅柳が鬼流様に何を話したのか、その内容が分かりきっているから」
 見透かされて玄月は益々不機嫌になった。
 思えばなぜ白日のところになんか来てしまったのか、玄月は後悔していた。
「……紅柳は鬼流様に生前のことは恐らく一切話さないでしょう。代わりにもっと深い話をしたと思いますよ」
 深い?と玄月は白日を見上げた。
「鬼流様はご自分のことを聞きたくて、紅柳の元へ直接出向かれたのだと思います。でも紅柳は鬼流様をこれから犯そうとしている罪の共犯に誘い込もうとしているんですわ」
「共犯って……あいつは何をしようとしてるんだ?」
「出口を探しているんです」
「出口?」
「私達をここから解き放つ場所を、元老院が隠していると……紅柳はそう思い込んでいるんです」
「思い込んでるって……じゃあそんなものないって言い切れるのか?俺もその噂は聞いたことあるぞ」
「言い切れます。例えあったとしても、その向こうが元の世界とは限らないでしょう。元老院の決定は絶対事項です」
 絶対、と言い切る白日に、玄月は違和感を覚えた。元老院は腐ってると白日はよく口にしている。それなのになぜ、その元老院の言葉を信じるのか。
「あったら困るのか?そんな出口が」
「私は困りませんわ。でも、もしあったなら、あなたはどうなさるおつもりですか?今すぐにでもここから解放されたいと思ってらっしゃいますか?」
 その問いに玄月は答えられなかった。長くここにいると、もう元いた場所のことなど忘れてしまった。覚えているのは流れる風の音、そこを切り裂いて滑空する心地良さ、高い空から見下ろす朧な景色。しかし、どれもがもう薄れかけている。
 ここに落ちてからのことの方がずっと鮮明になっていた。ここで感じたことの方が自分の中で大きくなっていた。最初の死神のこと、そして今の死神、心のこと。
「……お前はここから出たくないのか?」
 逆に問い返すと、白日はただ笑むだけだった。それは肯定とも否定とも取れぬ笑みだった。

3.
「……遅い」
 見上げた時計は十一時を回っていた。
 こんな時間まで一体どこに行ってるのか。今までこんなことはなかった。
 玄月はカラスだ。つまり鳥なのである。だから夜の暗闇を歩くことは苦手なはずなのだ。鳥目のくせに、と心は呟いて、玄月を捜しに行くことにした。
 何かあったのかもしれない。
 そんな不安がじわじわと広がっていく。
 上着を手に家を飛び出し、心はとりあえず役所の方向へ走りながら玄月の行きそうな場所を考えた。
 その足が止まる。
 玄月が一人でどこかへ行くことはしょっちゅうあった。だが、その行き先を聞いたことはないように思う。
 役所以外の行き先を心は知らなかった。いつも知り合いの家とかそういう曖昧なことしか聞いていない。それが誰なのか、心には検討もつかなかった。
「迷いでもしましたか?」
 ふいに声をかけられ、振り返ると同じ年くらいの男が立っていた。見た目がそうなのであって、中身は恐らくずっと年上だろうと思われた。
「いえ。ただ……人を捜しているだけです」
「人?ふうん。なら、もう少し待ってみるといい。明け方には戻って来るよ。それまで少し話でもしようか」
 そう言って男は左を示した。そこには小さな広場がある。ベンチが点在するだけの場所だ。
「なぜ捜してる人が戻って来ると知ってるんですか?」
「鬼流君だろう?玄月は白日のところだ。君と顔を合わせたくないだけだろう。君が寝静まったのを見計らって帰ってくるつもりだろう。だから心配することはない」
「玄月のお知り合いですか?」
「私は知っているけれど、向こうは知らないと思うよ。立ち話は老体の私には辛いので、とりあえず座りませんか?なに、寒さなどここにはありません。私の側は常春です」
 促されて心はベンチに腰を下ろした。確かに上着が少し暑く感じた。真冬のこの時期に、男は秋口の服装だった。
「とりあえず自己紹介でもしよっか。私は刃(ジン)。お役所勤めをしているサトリです。サトリって知ってる?人の心が見えちゃう人。だから、相談ならいくらでも乗るよ。迷ってるんだろう?紅柳の話を全て信じてるわけじゃないだろうけど、もし本当だったらって。手を放すか、それとも」
「あなたは一字なんですね」
 そう話を逸らされて、刃はにこりと笑んだ。
「正確に言うと一字じゃないんだけど、名乗る相手によって名を使い分けてる」
「一字じゃないなら二字、もしくは三字ですよね?人でないなら二字まででしたね」
「よく勉強してるね。でも人でなくても三字以上持てることもあるんだよ」
「三字以上?三字までじゃないんですか?」
「元老院の人間は四字以上ないとなれないよ。あそこに入るだけで最低四字は必要だ。何といってもあそこはこの世界の核だからね。必然的に字はたくさん必要になるんだよ。大昔には八字の人もいたみたいだしね。ここでは名前は特別な呪(しゅ)になってる。つまり字は己の崩壊を防ぐ結界のようなものだよ。それは言葉にも乗せることができる。言葉には魂が宿ると言われていてね、魂と言っても君とは違うんだけどさ。こうもっとスピリット?的なものを言葉に込めることができるんだよ。同じ言葉を吐いても、そこに気持ちが込もっているかどうかで、受け手に与える影響が違うのと一緒。それを意図的にやるのが得意なんだ、実は」
 にこり、笑んだ刃の顔が霞む。
 心は二、三度目を瞬いたが、視界はすぐにぼやけ、再び像を結んだ時には辻に立っていた。
 何が起こったのかと周囲を見回すが誰もいない。刃の姿も消えていた。

4.

「ここもか……」
 鬱蒼(うっそう)と茂る森の前で紅柳は舌打ちをした。
「蓋をしたところで何になる」
 どの危険区域も完全に封鎖されていた。目を凝らすと幾重にも張られた結界が見える。これを無理矢理破ることは紅柳には難しかった。例えできたとしても、時間がかかりすぎる。破る前に見つかってしまうことは必至だった。
「紅柳?」
 振り返ると白日と蓮がそこに立っていた。
「これは……どいうことです?」
「どこもかしこもこのザマだ。元老院が全て封鎖したんだろう」
「なぜ……?」
「お前は?なぜここにいる?」
「先日おっしゃったでしょう?危険区域に行けば元老院の隠しているものが分かると。それで来てみたら……」 
「なら、もう見れない。残念だったな」
「これからどうなさるおつもりだったのです?」
「さあな。これを破るわけにもいかないだろ。別の方法を考えるさ」
「あんた一人なら無理だろう。だが、今はわしもいる。短時間で破れると思わないか?」
 蓮はそう危険区域の閉ざされた門を見上げて言った。その真剣な表情に白日は呆れる。
「それがどういうことかご存知でしょう?」
「ああ。だが、それだけの価値があるものなんだろ。お前が一人で動いていることは知ってる」
 そう言われて白日は言葉を失った。
「私はただ……」
 言いかけて白日は止めた。それを見、紅柳は一歩前に出て門に近づいた。
「価値はあるが、重罪を背負う覚悟がなければやめとくんだな。関わっただけで殺されかねない。白日、お前も覚悟を決めろ。隠しているものの見当はおよそ見当がついてるんだろう?それに、もうすぐ転生できる奴を巻き込むつもりはない」
「構わんさ。わしの運命はとうに決まっていた。もともと焔として彷徨う運命だったのが、こうしてここで転生を待てる身となっただけのこと。焔に返されても文句は言えん立場よ」
「いいのですか?本当にそれで……」
「構わん。男に二言はない」
「そうか。なら、破るか」
 その一言で全員が門を見上げた。目を凝らすと幾重にも張られた結界が、まるで巨大な蜘蛛の巣のように見下ろしていた。

5.

「おや。迷ったのかい?」
 ふいに声をかけられ、心はドキリと振り返った。
 黒い着流しに赤い帯を締めた女が不思議な提灯を手に立っていた。
 円筒形の提灯には本来家紋があるべき位置に凡字が記してある。
「舟が着くにはもう少しかかる。それまで少し立ち話でもするかい?」
「舟?」
「乗るんだろう?あれに乗らなきゃ向こうには渡れないからさぁ」
「向こうって……?」
「向こうっていやぁ向こうさ。あたしはこうして迷った人を案内するのが仕ご……おや?あんたは見たことある。あたしをお忘れかい?ケイスケ」
「ケイ……スケ?」
「そう。ケイスケだろ?扉を見つけた子はよく覚えてるんだ」
「扉?」
「見ただろう?黒い大きな扉だよ。装飾の美しさに目を奪われてたじゃないか」
「黒い……装飾……?」
 その刹那、何かが洪水のように流れ込んで来るのが分かった。記憶の断片がぐちゃぐちゃに流れ込んで来て、それらをどう繋げていけばいいのか考える間もなく立ち尽くしていた。一瞬で駆け抜けていったそれらを心は呆然とどう受け止めるべきか考えた。
 ただ、強く黒い扉が頭に残った。例えようもない美しい装飾が印象的な扉。
 それをどこで見たのか心は思い出せなかった。
「本当に忘れたのかい?なら、舟の中で思い出すことだね。渡る前によおく思い出しな。どこで見たか、開くとどうなるか。そして、その閉じ方を。さあ、舟が来たよ。そこの辻からお乗り。落ちないよう気をつけるんだよ」
 にこり、女は笑んで背を向けた。
 提灯の中の焔の蒼さに心の意識は徐々に遠のいて行った。


「あ、れ?」
 気がつくと自宅のこたつの中だった。
 夕食の片付けはされていたが、玄月の残して行ったメモはそのままになっている。
 記憶が曖昧だった。
 どこからが現実でどこからが夢だったのか。
「扉……」
 そんな話をした。誰かと話した。でも、それが誰だったか思い出せなかった。
「朝?」
 ふと時計を見上げると五時を回っていた。
 玄月の姿を探すと、こたつの中にあった。
「ケイスケ……」
 断片的に浮かんで来る言葉を口にする。
 何かを思い出しかけてそこに意識を集中すると、途端に消え去りどこかに埋もれていった。
 でも、それは思い出さなければならないことなのだと本能的に強く思った。
「何の……扉?」
 浮かぶ扉の姿は、酷く禍々しくさえあった。美しい装飾が施されているにも関わらず、そこを開けてはいけないのだと思う。
「そんなの見ちゃだめだよ」
「そんなの触っちゃだめだよ」
 幼い声が頭の奥で繰り返し鳴り響く。やがてそれが静まると、嬉しさと罪悪感が胸に残った。
「圭輔」
 幼い声が誰かを呼んだ。
 その名に漢字が当てはまって浮かぶことに心は違和感を覚えた。
「ん……?」
 玄月がこたつから顔を出し、心の回想は途切れ現実に引き戻される。
「いつ帰ったの?」
「んあ?ああ、分かんね。それよりベッドで寝ろよ。俺にお前は運べねぇだろ」
「チャーハンありがと」
「あれしか作れねぇからな。夕食までには帰れって言っただろ」
 照れ隠しか、寝癖だらけの頭をかきながら、玄月は眠そうな目をしぱしぱと瞬いた。
「どこに行ってたの?」
 その質問でその手が止まる。
「……ちょっとな。白日のところ。それよりお前、話は聞けたか?情報盗んだ理由とかさ」
「……ねぇ、もし……もしもここから……」
 言いかけて心はやっぱなんでもない、とこたつから出た。
 玄月はそれをドキリとしつつも安堵している自分がいることに気づいた。
 心もやはり紅柳からあのことを聞いたのだ。
 どこまで詳しく聞いたのか玄月には分からないが、それでも何かが変わろうとしていることは分かっていた。
 例え玄月がここに残ることを選んだとしても、それは変わらないことのように思えた。

終.

「石はじゃんじゃん投げたが、どうかなぁ?これで少しは思い出してくれるといいんだけどねぇ。でないと、危ない橋を渡った甲斐がないよなぁ」
 嬉しそうにローブの中から漏れた声に、側でお茶の用意をしていた青年が苦笑する。
「随分とお気に入りのようですね。新しい玩具を与えられた子供のよう」
「玩具か。そんなつもりはなかったが、そう見えたか?」
「はい。扉を閉じてもらうおつもりですか?」
「いや。閉じれば秩序が狂う。開閉をコントロールできればと思っている。元老院はなかなか頭の堅い者が揃ってるからなぁ。でもお陰で奴等は未だに俺が紅(ホン)だと思ってやがる」
「紅だなんて呼び捨てはよくありませんよ。きちんと紅……」
「本名を口にするな。あれはまだ完全に封じたわけじゃないんだ。目を覚ます」
「そうでしたか。存じませんで」
「それより、茶」
「はいはい。今日は高山茶の良いものが入りましたのでそれを。茶芸も披露致しましょう」
「茶芸?」
 その口許が引きつる。
「普通に淹れろ。一度として成功したことがなかろうが」
「あれ?そうでしたか?」
 きょとん、と悪びれた風もなく言って、青年はせっかくチャイナ服着たのになぁ、と残念そうに茶器をテーブルに運ぶ。
「まあ、今日のお前はよく働いてくれたからなぁ。学芸会並みの演技も着流しもなかなか良かった」
「やはり茶芸を披露致しましょうか?」
 鋭い棘を含んだその言葉の語尾に、紅様、と呼ぶ声が重なる。
「紅様、こちらにおいででしたか」
 呼びに来た男にローブの中から笑みを零す様を見、青年は残念です、と小声で呟いた。
「また会議か?」
「いえ。結界が一つ、破られたようで。犯人は術師と死神です。おまけに……」
「それは我々の仕事ではなかろう。そちらで判断し、処理するのが筋だと思うが?違ったかね?」
「いや、はい。そうではありますが……危険区域が絡んできますと……」
「やれやれ。なら少々出かけるとするか」
 大袈裟に溜め息を吐き、ローブを深く被り直すと部屋を後にした。