【心&クロシリーズ】
【カンダタの糸】
序.
雨が上がり、道には水溜りが点々と残った。
そこに白い雲が流れる。
ぱしゃっ。
水溜りが跳ねる。
裸足の女の子が立つ。
辺りは薄暗い街の裏側。
古いビルが連なる場所で、女の子は空を見上げた。
突然の通り雨のせいで、女の子は水の中に落ちたように、水を滴らせる程濡れていた。
ニ、三度赤い目を瞬く。
頬に張りつく、短い茶色の髪を払う。
「乾いたら……飛べる」
女の子は乾いたら、と繰り返して空を見つめた。
その背には白い小さな羽はさらに小さく折りたたまれていた。
だが、その空は見えない膜で閉じられていることを彼女はまだ知らない。
元の場所に還れるのは、限られたモノだけだと。
1.
「お待ちしておりました。鬼流様でいらっしゃいますね?」
扉の向こうには、書斎のような部屋が広がっていた。
入って正面の奥には大きなデスクがあって、その手前には応接用のソファとローテーブルがある。
デスクには足を投げ出して、不機嫌そうに目を閉じた青年がいた。
「コレは気にせず、どうぞお掛けになって」
そう促した女性は、柔らかな物腰でふわりと笑った。
久し振りだな、と玄月は女性に声をかけながらソファに腰を下ろす。それに続いて心もぎこちなく会釈して玄月の隣に座った。
デスクの青年はどうやら眠っているらしい。
「私は白日(パイリ)。この失礼なのは花流蓮(かりゅう れん)と申します。今回お呼び致しましたのは、お仕事を一つお手伝いして頂きたいと思いまして。鬼流様にも良い機会だと思いますよ」
「どうせこの間の件で、上から何か言われたんだろ?」
玄月は両腕を頭の後ろで組んで、ソファに思い切り寄りかかる。
「ご明察。手伝って頂きたい仕事といいますのが、実は天使の処分なんです」
「天使?」
驚いた声を出した心に、悪いな、と玄月は白日に謝って、心には深く大きな溜め息を吐いた。
「天使なんていない。あれは架空の生き物だろうが。ここで言う天使っていうのは、外見がそれっぽいもののことだよ。羽があって人の形をしてるやつ。それを総じて天使と呼んでるんだ」
「……そのことで、少々気になることがございまして、仕事の説明の前にこちらにおいで頂いたのです」
玄月の説明にふうん、と頷く心に、白日は困った笑顔を浮かべた。
「気になること?」
「ええ。先日の水妖の件で何か上から言われませんでしたか?」
「いや。だが、あの時誰かに見られてるような気がした。それに道が……」
「恐らく術師が関わっていたと思われます」
「術師……」
その言葉に心が反応する。死神の試験で補欠合格を貰った時も術師が関わっていた。
「あなた方があの場を去ってから、何者かが湖を封印し、中にいたモノを処分した痕跡が見つかったのです。恐らく術師によるものと思われますが……」
「何か知ってるのか?」
白日の歯切れの悪い言葉に、玄月は何かを隠しているように感じた。
「……まだ憶測の域を出ませんので、ここではまだ申し上げられません。術師の目的が分からない以上、お気をつけて行動下さい。私も少し調べてみようかと思っております。鬼流様がよろしければ、ですが」
「お願いします」
「承知致しました。では、本題に入りましょうか。天使はここより東にある危険区域に落ちたようです。さて、ここで問題です。落ちてきたものは人ではありません。それらは鬼籍にはないものです。原則として鬼籍にあるものが私達の仕事の範疇です。ではなぜ鬼籍にない彼らも私達の仕事に入るのでしょう?」
にこり、白日は楽しそうに笑んだ。
2.
大きな扉の向こうには大きな鏡があり、その前には小さな机があってそこにちょこんと老女が座っていた。
二人に気づいて人の良さそうな笑みを浮かべる。
「おやおや、どこの悪ガキがいらっしゃったのかと思えば」
「まだくたばってなかったのか、ババア」
どうやら二人は仲があまり良さそうではなく、心は不安を覚えた。
「こんなバカと一緒なんてかわいそうだねぇ。苦労が絶えないだろうよ」
ちら、と老女は玄月を見やったが、玄月はふん、とそっぽを向いただけで反論しなかった。それは心にとってちょっと意外だった。
「あたしは鈷(コ)といいます。これは正しい読みではないのだけれど、それは名としては一般的でないから、コと名乗らせてもらってますがね。そういえばまだ死神になりたてとか。ならば、ここで名を一字しか持たないあたしのようなものと、玄月のように二字持ってるものの違いを知ってるかしらね?」
心が首を振ると、鈷はコレが半身なら知らなくて当然ね、と玄月をちら、と見やって軽く笑んだ。
「二字あるものは半身を指す。一字のものは役所に仕えるものを指す。そして何よりの違いは、鬼籍があるかないかということ」
鬼籍がある、ということは門を潜ってここに来たことを指す。反対に鬼籍を持たぬものとはここに落ちて来たものを指している。それぐらいのことは初めに玄月から教わって心も知っていた。
だが、二字と一字の違いがそんなにも大きなものとは思ってもみなかった。
鬼籍がないということは、二度とここから出ることはできないということなのだ。それはつまり鬼籍は全ての基本であるからに他ならない。
「鬼籍は戸籍と同じ。鬼籍にないものはここにも存在しないと見なされる。だが、戸籍になくとも存在しているものだってあるだろう?それと同じで鬼籍になくてもコレは存在している。存在しているからにはどこでだって生きていかなきゃならない。その為には名が必要なのさ。名は一種の結界でね。それについての講義は術師からでも受けておくれ。あたしの専門外だからね。ここで生きるには名が一字では保たないんだ。だから二字にして強い結界を結ぶ。特にたくさんの魂に触れる死神や術師の名が長いのも、半身の為に字(あざな)を授かるのも全部その為だよ。さて、前置きがとても長くなってしまったけど、案内役がちょうど今戻って来たようだから、ま、いい暇潰しになっただろう?」
鈷が二人の肩越しに視線を投じると、扉が勢いよく開いてすみませんっ、と女性が息を切らしつつ入って来た。
二十代後半だろうか。明るい栗色の髪を掻き上げ、軽く息を整えてもう片方の腕に抱えていたファイルを鈷に差し出した。
「……セラとは珍しいね」
ファイルに軽く目を通した鈷はそう言って、少し困った様子を見せた。
「セラって?」
「セラフィムのことさ」
心の問いに鈷はそれだけの説明しかくれなかったが、それにファイルを持って来た女性が補足する。
「姿は天使で、性格や能力に攻撃性のないもの、または弱いものをそう呼んでいます。危険性の低いものは天使の名前で、高いものは悪魔の名前で分類しているんです。ここに落ちて来るものは様々ですから」
「この程度の知識は基礎知識としては最低限のもののはずだよ。もう少しお勉強が必要なようだね」
鈷にそう言われて心は俯き、玄月はむっ、と鈷を睨みつけた。
「それはそうとこの子をまだ紹介してなかったね。四年前からここで働いてもらってる、鈔(ショウ)というんだ。チャオと発音するのが正しいんだけどね、あたしに合わせてそっちの読みを選んだのさ。ちょっとそそっかしいところはあるけど、このあたしより時々よく物を知ってる時があるよ」
まるで我が子を自慢する母親のように、鈷は勝ち誇った笑みを玄月に向けた。だが、やはり玄月はそれを睨み返すだけで皮肉を返すこともしない。どこかいつもの玄月と違う。
「セラが落ちた場所の入り口までは私が誘導させて頂きますが、そこから先のお仕事はそちらの管轄になりますので、私はただ案内するだけになります。通常ならこの時点で分かってる情報もお渡しするんですが、セラが落ちた場所が危険区域であることもありまして、充分な情報収集ができていないんです。なので、今回は本当に案内だけさせて頂きますね」
そう笑むなり鈔は、黒蝶の姿になって二人を誘導する。
「死神の仕事は迎えに行って役所に届け、得た情報を報告すること。届けるまでに牙を剥いたら処分する権限も持っていることをお忘れなく」
部屋を出て行こうとした二人を、鈷は静かにそう見送った。
3.
危険区域は役所に所属する特殊な術師によって結界が張られている。
その中に入るには、役所で発行される呪符、といってもカードキーのようなものを、大きな立派な門に取り付けられたカードリーダーに通すのである。
昔は術師に開門を要請していたらしいが、時代の波をようやく取り入れて数年前からこの方式に変わったようである。
黒い鉄門扉がその重さを微塵も感じさせずに開く。
二人が中に入ると、自然に門は閉じ、黒蝶はひらひらと鈷の元へと舞い戻って行った。
完全に門が閉じて、黒蝶の気配が完全に消えると、玄月は大きく息を吐いた。
「あのクソババアッ、まぁだ根に持ってやがったな……」
「何の話?」
「昔いろいろあったんだよ。ま、あのババアの言うことにはとりあえず素直に頷いとけ。仕事をスムーズにこなしたかったらそれが一番の近道だ」
「だから、さっきあんなに大人しかったわけ?」
「あれに口答えしたらここに辿り着くのに十年かかるか、でなけりゃすっげぇ大変で面倒な仕事を押し付けられるかだな。だから黙って頷いてご機嫌伺っとけ」
ふーん、と心は玄月のあの態度の真相を知って納得すると同時に、我慢ができるんだ、という事実にも感心していた。
「不思議なところだね」
心の漏らした感想に玄月は険しい表情を返す。
「危険区域はどういう場所か知ってるか?」
「穴が開きやすい場所でしょ?」
「そうだ。何が潜んでるか分からない。それはつまり気をつけろってことだ」
うん、と頷いて心は気を引き締める。
深い森のようなこの場所は役所の管理下に置かれているが、ここに立ち入るものはいない。ここに入る時は高位の死神や術師が何らかの事情で新しい半身を探しに来る場合がほとんどで、あとはたまに術師が己の術を磨く為にここでいろいろな人以外のものを『処理』しに来るくらいのものだ。だから、誰の手入れもされないこの場所の草木は、森というよりまるでジャングルのような有様だった。
そんな中を何かの気配に囲まれて進まなければならないという状況は、誰だって恐ろしいものだと思う。実際、玄月はここに落ちて酷い目に遭っている。火や風を操る化けガラスだが、それでも死神がここにやって来なかったら死んでいた。ここにはいろんなモノが落ちて来る。知能のあるものもあれば、本能のままに生きるものもある。
それなのに、心は怯える様子は微塵もない。それどころかその足取りは何かに向かって突き進んでいる。
「あ……」
声を上げて立ち止まった心の視線の先には、小さな白い羽を背に持つ女の子がいた。
赤い目がこちらに向けられる。
そこは少し開けた場所で、古い建物の残骸が蔦に覆われて幾つか連なって建っていた。
恐らく小さな街がここにあったのだろうが、危険区域に指定されて結界の中に閉ざされ、とても長い年月が過ぎてしまったのだろう。
こういうことは時折あることだった。穴が開きやすい場所というのは常に変わっている。昔は危険区域に指定されていた場所が、突然解除されてそこに新たに街が造られることもある。
心は目の前の女の子に何と声をかけていいか迷っていると、女の子は空を見上げてそれから俯いた。
「乾いたのに……帰れない」
見ると髪が少し濡れていた。
空には見えない膜がある。だから、ここに落ちたらたとえ空が飛べるものでも、ここから脱け出すことはできないのだ。出るには門を潜らなければならない。だが、そこを潜ることができるのは、門からやって来たものだけである。
玄月も心と一緒に此岸へ降り立つことはあるが、そのままここへ戻らないでいれば死んでしまうのだ。
それを思うと心はたまらない気持ちでいっぱいになる。
まだそれを知らない目の前の女の子に、それをどうやって伝えたらいいのだろう。
「……心」
玄月は無防備に女の子に近づこうとする心を軽く制した。そこかしこに嫌な気配がするというのに、心は全く警戒していない。心が鈍いのはいつものことだが、あからさまに隠しもしないこの気配を感じていないわけではないだろう。それなのに、心は普段と変わらないのだ。
もしかして、と玄月は心の背を見つめる。周囲を取り巻く気配は僅かに間合いを取っている。近づきたくても近づけないのか、そんな印象を玄月に与えた。
「……残念だけど、君は家に帰れないんだよ。君はここから出られない」
「ずっと?」
「うん。ずっと……だから選ばなければならないんだ。ここで生きるか……」
もう一つの選択肢を心は言わなかった。だが、女の子はそれを感じ取って、あどけない表情を曇らせた。
「あなたも出られないの?」
その質問に心は玄月を振り返った。玄月は無表情に頷いて答えを促す。
「……僕はいずれここを出て行くことができるけど……君は……だめなんだ」
「いつまでいる?」
「僕は落ちこぼれだから長くいることになるかもしれないけど、ずっとじゃないんだ。早ければ百年でここを出て行く」
「なら、私はここにいる。ここにいればまた会える?」
「うん。いつでもね」
心が寂しく笑うと、女の子は嬉しそうに笑んだ。
4.
「なんで無防備にあいつに近づいた?」
役所に女の子を届けた帰り道。玄月は気になっていたことをようやく口にした。
「無防備にって……だって……」
「見た目は天使だが、あくまでもそれは仮の名だって言ったろ?あそこは危険区域だ。あいつ以外にも周りに嫌な気配がたくさん張りついてただろうが」
「そうだけど……襲って来る気配はなかったから……」
「あのなあっ」
「自分でもっ……分からないんだ。あの時はすごく安心して、ちょっとびっくりしてたから……」
「びっくり?」
「うん……うまく言えないけど、あの子がここにいるのにびっくりしたっていうか……天使なんて初めて見たから……」
「初めて見るものなんかここには五万とあるだろうが」
「そうだけどっ、天使なんて空想だろ、普通」
「喋るカラスも喋る猫も空想だろ、普通」
「見た目はただのカラスに猫だろ?」
「見た目の問題か?だったら龍とかいるぞ、ここ」
「見たことない」
玄月は子供のようにはぶてる心が、どこかおかしく思えたが、同時にうんざりもした。
「……あのなぁ、びっくりはまだ分かったけど、安心するってのはどういうことだよ?危険区域のド真中でしかも気配だけとはいえ化け物に囲まれて……」
「自分でも分からないって言ってるだろっ」
心はそううんざりした様子で吐き捨て、そのままどこかへ走って行ってしまった。
「あらあら。喧嘩ですの?」
入れ替わるように玄月の隣に白日が現れ、にっこりと意地悪く玄月を見下ろした。
「別に」
「……喧嘩はしないで頂きたいですわね。先程報告を受けたばかりなのですが、あなた達が役所に無事届けて下さったセラフィムですが、術師の半身としてこれからは小空(シャオコン)と名乗って生きるそうですわ」
「術師の?そんなに早く決まるものだったか?」
「いいえ。特例だそうです。長く半身を持たなかった、というより半身が行方不明のまま、単独で仕事をしていた術師がいたんです。単独での仕事は本来禁止されていることですし、セラフィムなら術師の良い手助けになるだろうということで、すぐに手続きがされたんです。厳密にはまだ手続きの最中ですが、セラフィムの能力が未確認のまま半身に決まるのは、恐らく初めてではないでしょうか」
「元老院が絡んでるな、これは」
「当然そうでしょうね。うちのがこの件に興味を持ってしまって、悩みの種がまた一つ増えてしまいましたわ」
そう困った様子ではなく、むしろ楽しそうに白日はそう言った。
「術師の名は?」
「紅柳皇(こうりゅう こう)。一応私の知り合いです。半身が行方不明となった件についても、これから深く調査しようと思っております」
「バレたら殺されるぞ」
「そうならないように祈っておいて下さいな。それと……」
にこり、笑った白日の顔が曇った。
「鬼流様についても、少々気になる点が」
「心が?もしかして目のことか?それとも今回の?」
「やはり気づいておいででしたね。どちらもです。それにこの間の水妖の件も。恐らくこちらで何かあったと見るより、生前に何かあったと見るべきでしょうね。生前について何かご存知ですか?」
そう問われて玄月は一瞬、心が熱を出して倒れた時のことを思い出したが、いや、と答えた。だが、白日は意地悪く笑んで玄月を見下ろす。
「ご存知でしょう?役所の狼(ロウ)宛てに酒が届いたことは存じておりますわよ」
あのやろう、とつい漏らしてしまって、玄月は慌てて口を塞いだが遅かった。
やっぱり、と白日は楽しそうに玄月を見つめた。
終.
「どうして鈷には鬼籍があって玄月にはないんでしょうか?」
空が茜に染まる頃、役所の前に伸びる道で偶然白日と出会った心は、どうしても訊きたかったことを口にした。
「まだ答えを聞いてませんわ。先に私が出した問いに答えて頂かないと。仕事から戻って来たらお聞きする約束でしたでしょう?でも、そんな質問をされるようでしたら、答えは見つからなかったのでしょうね」
「鬼籍は戸籍と同じようなものだと聞きました。なら、鬼籍になくとも存在する限りは、死神の仕事になります」
「その通り。ではなぜそのような質問を?」
「名前について鈷から聞きました。名が一字のものは門を潜って来たのだと。なら、鈷は人間ですか?鬼籍は人間にしかありません。門を潜れるのも人だけだと、最初に教わりましたが?」
「ええ。その通りですわ。鈷も鈔も元は門を潜って来た人間です。けれど、彼女達はこちらで咎人となってしまい、人ではなくなってしまったのです。原則として鬼籍は人にのみ与えられますが、彼女達のように人ではなくなってしまっても、鬼籍を保持したままのものもいるのです。それは彼女達の罪がまだ軽いからなのですが、ここから出られるのはまだまだ先になるだけでなく、次は人ではない生を送ることになるでしょうね」
そうですか、と心は淡々と頷いた。
「鬼籍を持たない生き物は、私達のような人外魔境の生き物が主です。大気の中に、あるいは火や水の中に宿るモノ、カラスや猫が魂となった瞬間、前とは違うモノになることもあります。魂になる前から違うモノとして何かを宿すモノもいます。それらは総じて鬼籍を持ちません。鬼籍も全ての魂を管理できる程には万能ではないのです。では、鬼籍を持たない生き物の魂はどこへ辿り着くのか…それはやはりココなのです。でも、鬼籍を持たないモノはここのシステムには当てはまりません。鬼籍は戸籍と同じようなモノです。ですから、戸籍がないとそれはいない、ということになるように、鬼籍にないモノはいないのです。いないならば、そのまま放っておけばいい、と考えられるかもしれませんが、戸籍がなくともそれは存在するように、放っておくわけにはいかないのです。では、どうするのか。魂の導き手は死神です。ですから、その処理は死神のそれぞれの裁量で決められることになっているのです。ですから、平等ではありません。中には殺すことを楽しむ死神もいます。落ちて来るものなら殺すことも許されていますからね。ですが、あなたのように私達の心配をして下さる方もいる。それは私達にとってとても素晴らしいことなんですよ」
白日は満足そうに笑んだが、心はまだ憮然としていた。どこか納得していない風に。それに白日は軽く息を吐く。
「……たとえ私達にとっては瞬くような一時でも、それだけでここで生きる糧となり得るのです。思い出として……」
「でも、ずっとここでたくさんの死神を見送ることは、たくさんの死を見続けることは……」
「寂しくありません。そう思って下さるだけで十分です。私達は人ではありません。人とは違う世界を見、違う価値観の中で生きています。流れる時間も元より異なるのですから。玄月は幸せですよ。玄月はまだまだ子供ですし、ああいう性格ですから口に出して礼を言うようなことはありませんが、きっと幸せに思っております」
「あなたも……ですか?」
「はい。ここに落ちたことを後悔しておりません。私のいるべき場所はここだと思っております。ここから出たいとも思っておりません。勿論、ここにいることが私の幸せです」
そう白日は満足そうに笑んだ。その笑みは偽りとは思えない。いつも笑みを絶やさぬ白日だったが、この笑みは真実だった。
「私がこのようなことを鬼流様に申し上げたことは、くれぐれも内緒にしておいて下さいね。こういうことはあまり口にするようなことではありませんので」
そう言った白日の頬が赤いのは、果して夕日のせいかどうか、心には判別できなかった。